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現代犬神考。

てらさわの考え方をひとつ。
犬神といえば、巫術系の呪術というのは知ってますよね。
蠱毒と同じような捉えられ方もよくある話で。
それは、作り方と飼い方によって象られたものではないかと思います。
まぁどこにでも転がっていますが、とりあえず記述します。

代表的な作り方

 ①犬を首だけ出して地に埋める。
 ②そのまま餓死寸前まで餌をやらず放置。
 ③極限まで餓えて食物のことしか考えられなくなった状態で
   目の前(但し微妙に届かぬ位置)に餌を置く。
 ④餌への(ひいては生への)執着が最大限に高まったところを見計らって首を切る。

飼う、という表現が近い

 ①首だけになった犬は首だけで動いて餌に食いつく。
 ②これを焼いて壺等に入れ祀る。
 ③祀られた犬神は術者の意のままに使役され、富をもたらす。

確かに蠱毒に近い、のでしょうね。
ただ実際には犬神筋の人間にしか見えない事が多いようですし、
しかし呪術としての効果が大きく見えるような、たとえば、
呪殺・恋愛成就など、そういった方面に強い特徴を示しません。
なんとなく全て思い通りに出来る、みたいな感じです。
また、外部からの説明がほとんどであるため、
犬神筋という「与えられた社会身分」という性格が強いこと、

この2つから、てらさわは、ふと、社会現象の一種だと考えることがあります。
ナチスが行ったユダヤ人差別政策と同じようなものでしょうか。

むら、という社会があります。
どこも不況(不作)で生活に苦しい中、ある一族だけは儲かっている。
大衆的には妬み、排斥したい気運となってもおかしくない一族。
だから「あそこの血筋は」と言われることがあるのでしょう。
だから受け身の表現ばかりが残るのでしょう。

どうしてそうなってしまうのか?
その理由について、説明をしてくれる資料がないので
てらさわは、この理由を考えるのです。
被差別的な性格を持つ犬神は、どうして「信仰」で語られることになるのでしょうか。
普通、信仰と言った場合には、少なからず一世を風靡する人気が有るものです。
犬神は忌避され、少なくとも犬神筋は人気者ではなかったはずです。
富むが奇行も多い一族として、忌み嫌われていたはずなのです(奇病もね)。
少なくとも1900年代以降はこのような性格であったはずです。

だとすれば。
犬神は歴史上どこかで、例えば、真逆の性格等に鞍替えした、もしくは、
犬神についての説明は被差別民としての性格しかなく、不正確。
このどちらかだと思うのです。

てらさわは史学には明るくありませんので前者は捨てます。

そこで、てらさわはこう組立てました。

結論、犬神筋は「商才」があり、先進的なマネジメント手法をもつ一族である。

どうして被差別的な性格を有するようになったのか。

それはいち早く資本主義的な考え方を持っていたからです。
関係ありそうな考え方を列挙してみます。
①同業者を駆逐し、唯一の取引先となることを目指す。
②企業体の目的は利益追求である。
③ゼロサム・ゲームにおいては、相手をカモらないと自社の損失に直結すること。
資本主義社会においては常識ですが、
むらではこのような手法はどう受け止められたのでしょう。

具体的にはこういうことでしょう。
①トラストやコンツェルン形式での独占を目指し、
②自社の生き残りのみを目的とした経営方針で
③死に体の企業は容赦なくとどめを刺す(ビジネスチャンスだと捉える)。
上記3つの原則を徹底すれば、むらではさぞ嫌われたのではなかったでしょうか。
助け合いながら生きてきた人たちにとって、弱肉強食という考え方は馴染まなかったのでしょう。

昔の人にはどうして犬神筋のビジネスモデルが上手くいくのか
どうしてそうしたビジネスモデルを採用するのかが理解できなかったのではないでしょうか。
「あそこは犬神筋だから」
ちょっと普通の神経(当時の)ではできない方法で富を得る。
「あそこは犬神筋だから」
はっきり口には出せないが、羨ましい・妬ましい・憎らしい・排斥したい。
こうして後ろ指を指されながらも純粋に一族の方針を守り通した一族。
それが犬神筋ではなかったのでしょうか。

そう考えると、女系の跡継ぎ制度も合理的です(犬神は女系の巫術)。
女を跡取りとし、商才に長けた婿養子を迎える手法は、
同族企業を短命で終わらせないためには非常に有効です。
何代も続けて商才のある長男が生まれるのは稀ですからね。
日本やイギリスの中小企業が長く続いて50年程度と短命なのは
世襲させる事が多いから、だそうです。
1代で築き上げた会社を2代目3代目が食い潰す。
それを回避するには有効に機能したのではなかったでしょうか。
商才というのは家系や努力ではなく、才能なのだということも知っていたのでしょう。
補足しますが、この跡継ぎ制度は堺などの商家では普通です。
むらであるが故に被差別の憂き目を被ったのではなかったかと想像します。

さて、こうして考えると、差別される歴史の中で同族間の混血も進み、
奇形や精神薄弱など、確率として多発する一族が出来上がるのも無理のない話で。
日本人は古来からこうした「穢れ多い人間」には非常に敏感です。
同族間の混血は本来稀有な事ではないのですが、長い閉鎖社会の生活で、
血族の維持には避けるべき、との共通理解が今なお根強く受け継がれているのは周知の通りです。
同族の混血を繰り返した人間を嫁にもらうな、というのも
こうした理由からではなかったかと考えるのです。
現代では犬神の名残として、婚姻差別が一番大きいようですし。。

この解釈は、勿論フィールドワークに基づいたものでもありませんし、
私てらさわは民俗学の教養がありません。
その上での仮説にしかならないのですが、漠然としすぎている犬神は
資本主義の犬だという解釈は、遠すぎる理解ではないのではないでしょうか。

そうだとすれば、犬神の本質は資本主義である、と。
現代は、「犬神が支配し動かしている世界」ということになりますね。
犬神の世界とでも言った方がいいのでしょうか。

ちなみに、タイトルの元になった作品は一回も読んだことがありません。
あと近親相姦について穢れだなんだのと語りましたが、
妹萌えなお兄ちゃんが多いのは秘密です。

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